恋愛ゲームにハマっているという事実がバレてからというもの、緩は気が気ではない。いつか学校中にバラされるのではないか? そんな不安が付き纏う。
再婚なんてするからこんな事になったんだ。
怒りの矛先は義母へ向く。いまだにまともな会話をした事もない。用事があれば雇っている家政婦へ頼む。
よりによって、あんな横暴な男と同じ屋根の下で、しかも隣部屋で過ごさなければならないなんて。せめてもっとマシな男だったらよかったのに。もっと思いやりのある理知的で柔らかな人。
目の前に、一人の男性が浮かぶ。
そう、例えば山脇先輩のような人。
だが、浮かんだ姿に、緩とは違う別の女性が寄り添う。
大迫美鶴。
途端、唇を噛み締める。
携帯電話で出回った二人の写真。初めて目にした時、緩は血の気が引き、事態を理解するのに数分かかった。こんな写真を見て騒ぐなんて端ないと言って体裁を保ったが、果たして震える声を周囲に気づかれずに済んだだろうか?
認めない。あんな写真は認めない。何かの間違いだ。きっと大迫美鶴が山脇先輩に無理に迫ったのだ。そうだ、きっとそうに決まっている。
だが、その事実を瑠駆真に確かめる勇気など緩には無い。
瑠駆真とは学年も違うし、それほど親密な関係ではない。気安く教室を訪ねて声が掛けられるような立場ではない。
でも、きっとこの間違いを確認する機会は訪れるはず。校舎の陰で助けてもらったように、また先輩と二人っきりでお逢いできる機会は必ず訪れるはずだ。
そうだ、先輩は私を二度も助けて下さった。あの粗暴で野蛮な義兄から私を助けてくれた。先輩だって、心のどこかでは必ず私を想ってくれているはず。たとえそれが心の片隅の小さな想いであったとしても、いつかは必ず時期が来るはず。このゲームの世界のように。
周囲を見渡す。公演が終わり、みな上気した顔で席を立つ。自作の衣装に身を包み、登場人物のセリフを真似ては楽しむ少女たち。
私もあんな服が着てみたい。
都市部ではコスプレと言われる身装はもはや珍しくもないのだろうが、緩が暮らす地方ではまだなだ異質な存在だ。そのような格好をすればたちまち注目されるだろう。どこで知り合いが見ているかわからない。同級生にでも目撃されて校内に広められれば、緩はもはや通えない。
羨ましい。
好きな登場人物の衣装を身に纏い、得意げに歩く人々を街で見掛けたり、テレビやネットでイベントの情報を見るたび、緩はそう思う。
私も一度でいいから、あんな綺麗な衣装を着てみんなに見てもらいたい。私のような人間が着たら、きっと似合うはず。だれよりも美しくなれるはず。
緩は、自分がとびきりの美人だとは思っていない。群を抜いて可愛い容姿だとも思ってはいない。だが、そんな自分でもそれなりの衣装を着てそれなりの化粧をすれば、テレビに出てくる芸能人のようにはなれるはずだと思っている。
いや、あそこまで綺麗になれなくてもいい。皆に注目してもらう必要だって無い。ただ、好きな世界の好きな人間に、一瞬でもいいから変身する事ができるのなら。
憧れが膨らむ。イベントの興奮を抱えたまま関東から戻った。押さえ切れなくて、周囲に細心の注意を払いながら、木塚駅の裏路地に軒を構えるゲームショップへ足を運んだ。己の出生の事実を知った美鶴が、秋の雨に濡れた身体を潜めて唐渓生から身を隠した店だ。当時美鶴は、衣料品の店だと思っていた。
他の客や店員にできるだけ顔を見られないようにしながら、店の最奥の一角に展開する衣装コーナーへ向う。入り口付近にも並べられているが、通りからは丸見えだ。そんなところでウロウロと衣装なんて物色はできない。
ハンガーに掛けられた衣装や壁に飾られたウィッグ。天井から吊るされた武器のような小道具。すべてが緩を夢の世界へと誘う。
こんな衣装、着てみたいな。
一枚を手にしてそう思っていた時だった。
「あなたのような方でしたら、こちらの方が似合うと思いますわ」
声にギョッとし、反射的に背を向けた。そのまま無視して去ろうとする背にもう一度声がかかる。
「大丈夫ですわ。誰にも言いませんから」
背を向けたまま立ち止まった。
「そもそも、私はあなたが誰なのかなんてまったくわかりませんし」
優しい声だった。
「それに、恥かしいという気持ちもわかります。私も最初はそうでしたから」
後ろの人は、私と同じ人間なのだろうか?
少しだけ、興味が湧いた。
「ご迷惑なのでしたらごめんなさいね」
私の気持ちをわかってくれる人?
緩は少しだけ振り返った。俯き気味で下から覗き込むように見ると、柔らかな瞳が微笑んでいた。
知らない人間だった。唐渓の制服も着てはいなかったし、見た目から、二十歳は超えているだろうと思われた。
それが幸田との出会いだった。
なぜ幸田茜は声を掛けてきたのだろう?
「だってあなた、その衣装をとっても着たそうに見えたのですもの。でも私は絶対にこちらの方が似合うと思ったものですから」
「とっても?」
「はい、とっても」
ニッコリと笑う幸田。
「とっても似合うと思いますわ」
少しズレていそうな相手に、だが緩はもう背を向ける事ができなかった。なぜだろうか?
このような場所に居る事が誰かにでもバレたら、それこそ校内での体裁が保てない。廿楽華恩という後ろ盾を失ってから、ただでさえ緩の立場は劣勢に追い込まれている。もともと唐渓ではそれほど権力を行使できるような家柄でもない上に、それまでの、廿楽に頼ってきた頃の横暴な態度の反動もあった。
もっとも緩は、自分が横暴な態度を取ってきたとは思っていない。
世の中とは理不尽だ。私のような人間がなぜ見下され、蔑まされなければならない。私は何も悪い事はしていないのに。
そうだ、こうやってコスプレ衣装を見ている事の、どこが悪いというのだ。
だが誰かに見つかれば、学校に知れ渡れば、100%嘲笑されるだろう。
それがわかっているのに、どうして逃げない?
戸惑う緩などお構いなしで、幸田は緩に数着の衣装を宛がう。楽しそうにあれこれと衣装を出してくる幸田の顔を見ていると、なぜだか、もっとこの時間を楽しみたいと思えるようになってきた。
もともとこのような衣装を着たいとは思っていたのだ。その想いを必死に我慢してきた分、少し心が緩めば止められないのかもしれない。
「何かお好みとかあります? やはり最初に見ていたようなモノとか?」
「あぁ、こういったモノも綺麗だとは思いますけど、でも私、もっとシンプルなモノの方が」
と言って、いつの間にか緩自ら衣装へと手を伸ばす。
「あら、これはちょっと大人し過ぎますわ。もし着たとしても、あまり目立ちませんわよ」
「目立たなくてもいいんです。別に目立ちたいというワケでもなくて」
そうだ、自分は別に衣装を着て目立ちたいというワケではない。コスプレイベントに出たいと思っているワケでもない。ただ、お気に入りの登場人物と同じような格好をすれば、自分もその人物のように、純粋で一途で清楚な人間になれるような気がする。
いや、自分はもともとそういう人間だ。だから自分と同じ性格の登場人物が着ている衣装こそが、自分には一番似合うと思う。
|